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思い出

注:今回の記事はAIONと全く関係ありません



父親の仕事の都合で、引越しが多い家庭でした。

大垣で産まれる→美濃(下牧)→本巣→糸貫→大垣→大垣

こんな感じですね。



本巣の保育園だかに通ってたのが、引越して糸貫の幼稚園に通った記憶があります。

保育園の記憶はほとんどありません。

糸貫:幼稚園~小学校3年の途中
大垣:小学校3年の途中~小学校4年の途中
大垣:小学校4年の途中~今

という具合で、最も思い出が詰まってるのが糸貫に住んでた頃ですね!



周りは田んぼばかりで、柿の木が沢山あった気がします。

小学校も、全校生徒240人居たか居なかったかそれくらいの地区だったので学年問わずに仲良しな人が多かったと思います。

「モナリザの絵を叩くと呪われる」という話を聞かされて本気で怖がったり

夏休みの宿題をやらなかった為に居残り勉強させられたり

友達とサッカーして顔面にシュートくらってサッカー嫌いになったり

兄とファミコンの桃太郎電鉄して、貧乏神擦り付けられて本気で大泣きしたり

公園のベンチに座ってたら、ベンチ下に蜂の巣があったらしく3匹に刺されて大泣きしたり

野良猫の尻尾を思いっきりギューッと握ったら「フギャアアアアア!」と怒られて足首噛まれたり




ここからは母に聞いた話なのですが

美濃に居た頃、砂場で兄が作った三角形のお城(のようなもの)を「ぺっちゃんこ!ぺっちゃんこ!」と言いながら踏み潰したりしたらしいです。兄、本気で大泣きしたそうです。

美濃に居た頃、家庭用ビニールプールで仰向けに倒れてしまいそのまま溺れたとか何とか。そのおかげで保育園に居た2年間、プールには一切入ろうとしなかったそうです。

小学校入学してしばらくの間、筆箱を全然学校に持ってこなかったという話を母が先生から聞かされたそうで、「筆箱持っていかなくて、なぜ困らなかったのか」と母に聞かれたところ「困らなかったよ!○○ちゃんが貸してくれるもん!」と平然と答えていたそうです。

糸貫時代では、学校の宿題で分からない箇所があると「わからへ~ん。゚(゚´ω`゚)゚。」とか大泣きして兄にやってもらっていたそうです。






私はとにかく、よく泣く子だったそうです。

ただ、近所のコミュニティが凄かったので

誕生日会やら、近所のグランドで学年問わず遊んだりするのも当たり前で本当に楽しい所だった記憶があります。

何だかんだで、兄(年齢1個上)は私の一番の被害者だった気がしますね・・・w



と、糸貫に住んでた頃を夢で見たので色々と母に聞いてみたり

自分で思い出した話を母に話したりしてみました。

とりあえず、車も持っている事ですので今月末にでも糸貫までドライブしてみようかなと思います。

私の住んでいた、糸貫駐在所という所は既に潰されてしまい、岐阜モレラという建物の駐車場の一部になってしまったそうです。

見延団地の東にあった工場が岐阜モレラだとか何とか母に聞いたので、岐阜モレラの駐車場に車を置いて、2年と半年通った小学校とか自分の住んでいた団地を歩いてみようと思います。



ちなみに、糸貫の一色小学校という所に通ってたのですが

そこの卒業式では「季節の風を胸に」という卒業歌を使っていました。

これです↓
ttp://home.ktroad.jp/h-andou/kisetu.htm

6年生で歌いたかったp_q
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コメント

自分も引越しの経験あります。大人になり仕事の途中子供の頃住んでたところに行きましたが感慨深い物ありましたよ。と同時にこんな小さな地域があの頃の自分の世界の全てだったのかと奇妙な感じを受けましたね。20年以上前にすんでたところなので余計にそう感じたかもしれませんが。

まじこさん>
勝手に回想してるだけでも「あの頃は楽しかったなぁ」などと思ってしまいます。
実際にその地に戻ると一体私はどんな気持ちになるのだろうか・・・楽しみです。

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